ブダペストの温泉群
ブダペストの温泉群
2015&2019
北海道より少し広い国土に1,000万人の人口を抱えるハンガリーの首都で、ドナウの真珠とも評されるハンガリーの首都ブダペストは、政治経済の中心であると共に、意外にも世界で有数の温泉首都でもある。ドナウを挟んで競合してきた2つの街であったが、1872年に王宮のある政治の中心ブダと対岸の商業都市ペスト(現地の人は『ペシュト』と発音)が合併し、ドナウ川に橋が架けられた。
意外に思われるかも知れないが、ハンガリー全域にわたって約1,300の温泉が分布しており、その内ブダペストには100以上ある。なぜ火山国でもないハンガリーに泉温の高い温泉が湧出するのか?
その理由は、構成する地殻の層の厚さが相対的に薄いため地熱が高く、それゆえ河川や盆地や湖沼のように地下水の豊富な地方では温泉が湧き出す。ブダペストには、118もの源泉が毎分およそ50トン湧き、大小50以上もの浴場が存在すると言われている。
お風呂好きの古代ローマ帝国が見逃すはずがない。紀元前1世紀には占領され、アクインクムと呼ばれた宿営地に温泉浴場が開発された。
『ブダペストの北のオーブタ地区にある古代ローマ時代の遺跡には今も11の浴場の跡が見られる。浴場は兵士用、公衆浴場、高官用と分かれ、富裕階級は自宅に湯を引いていたという。』(池内紀編著『西洋温泉事情』)その後、フン族、マジャール人が侵入し、896年には温泉治療所ができた(チャサール温泉とルカーチ温泉)。1200年代中期にはライ病患者用の温泉治療所もできた。
その後13世紀のモンゴルの来襲を経て、オスマン帝国による侵略支配は150年にも及んだ。オスマン帝国は、ローマ帝国式の温浴文化を継承しながらも、トルコ式に発展させたため、今日までブダペストに残る古い温浴施設を見ると、今日の「ドイツ式温泉プール」とは全く異なり、古代ローマのテルマエの社交場としての様相を彷彿することができる。浴槽によっては体温より高い38〜42℃の温泉に入浴できることは、日本人には嬉しい限りである。但し、浴槽の深さが1m数十cmもあり、混浴時には水着の着用が必要とされる。
冷戦時代の1980年代の浴場入場料は、50〜100円程度だったそうだが、今日では1,500〜2,000円はする。庶民にとっては、あまり安いものではないが、ある種の補助があるのかも知れない。若いカップルの割合がどこも多い。療養と言うより、レジャーの割合が多い。
水泳プールを使うかどうか、入浴時間、ロッカー使用かキャビン使用の別を告げ、所定のチケットを買うと、たいていICチップ?が埋め込まれた腕時計型の電子鍵を渡してくれる。それを、ゲートのセンサーにかざして入口のバーを倒して入場し、決められたロッカーもしくは、自由に選んで脱衣し、水着に着替える。気になる人は、カーテンの付いた「試着室」で着替える。ハンガリー式の女性用エプロンと男性用フンドシを貸してくれるところもあるというが、たいてい水着で問題ない。水泳の場合、水泳帽もしくはシャワーキャップの着用が必要な場合が多い。
浴室内の移動には、水に濡れても良いスリッパかサンダルを履くが、ないなら素足でもかまわない。浴場に持ち込むのはバスタオルぐらいでよい。冬季の室外浴槽(露天風呂)を使うならバスローブがあった方が良い。シャワーを浴びた後、浴槽に身を沈める。上がる時はシャワーを浴びる、もしくは浴びずに体を拭き、着替えを済ませ、出口のゲートの回収口に電子鍵を入れれば、ランプが緑になってゲートのバーを回転通過できる。
温浴の他、マッサージ、ペディキュアなどのサービスも選択できる。(ト)はトルコ様式温泉施設。
セーチェニ温泉 Széchenyi gyógyfürdő:命の水
現在市内に散在する温泉施設は、大半がドナウ河畔の右岸=ブダ側に集中しているが、ペスト側の郊外の森(現在市民公園)にあるセーチェニ温泉は1869〜38年にかけて温泉掘削が行われ、現在74と77℃の2つの源泉からカルシウム・マグネシウム-硫酸塩泉が大量に供給されており、この温泉は筋肉や背骨の痛み、慢性的な痛風、神経痛などに効能があるという。
1909年から4年かけて一見宮殿風の巨大で荘厳なバロック・リヴァイヴァル建築様式で、浴槽を飾る彫像やガラスのモザイクは当時のハンガリーをリードする芸術家によって制作された。現在でもヨーロッパ最大級の温泉複合施設である。隣接して飲用温泉の売店もある。
ハンガリーの浴場では、浴槽の壁や柱には必ず湯温の表記がなされ、湯温は34〜38℃であった。ほとんどの場合、持参の温度計の実測値と一致した。日本の湯温管理がいい加減なのに比べて、この点大いに見習うべきである。屋内には10ほどの長方形、8角形、半月型浴槽ある。湯中運動専用の屋内浴槽が一つあり、若い女性のインストラクターとトレイニーが相互に交代しながら常時湯中運動のレッスンが開かれている。
屋外の巨大プールは3つあり、中央にある「だいたい」長方形の水泳用のプールを挟んで対称に配置している半月型の大浴槽の左が38℃、右が34℃であった。深さはいずれも1m20cm位だが、必ず階段があるので、半身浴も容易にできる。風呂に入りながらのチェスの風景は、映像として有名だが、私が訪ねた11月の夕暮れ時は誰もしていなかった。塩素臭が鼻につくので、露天プールは3つとも濾過循環しているに違いない。内湯は塩素臭がしなかった。
ホテル・ゲッレールト温泉 Gellért Gyógyfürdő:
ゲッレールトの丘の南端で、ブダ側の自由橋(サバジャック橋)のたもとに最も格式高い温泉ホテル=ダヌビウス・ホテル・ゲッレールトは4つ星がある。 この温泉はすでに13世紀の頃には知られていた。
1918年に建設されたアールヌーヴォー様式の ホテル・ゲッレールトである。建物内はアール・ヌーボーの家具、芸術的なモザイク、カラフルな色ガラスの窓そして彫像が飾られている。古いホテルだが、格式があり、Wi-Fiも全館使用できる。
曲線の幾何学紋様の彫刻を施した大理石の列柱は、イギリスのバースにあるローマンバースを思い浮かばせる。この室内プールの側に直径10数mの半円形の36℃の浴槽があるほか、屋上に36℃でコの字型の温浴槽があり、側には小さなサウナと水を張った樽がある。
このホテルの宿泊客は,なぜか他の温泉ホテル(通常宿泊料には入浴料を含む)と違って、宿泊料に一人14ユーロの温泉使用料を別途払わなければならない。
住所:Budapest, XI. ker. Kelenhegy út 2.-4.
ルダッシュ温泉 Rudas gyógyfürdő:
近代的な吊り橋であるエリザベート橋のブダ側直ぐ南の河畔に、削り取られたゲッレールトの丘の白い岩壁の崖を背面にルダッシュ温泉がある。1566年(1579年説も)にトルコ人によって建設されたが、19世紀末に建替られた。円形屋根と内部の構造と赤大理石の浴槽がトルコの文化を醸し出している。かつては男性専用であったが、近年に火曜と週末に男女共用になったという。残念ながら、浴室内は撮影禁止。高齢者、男女のペアが多い。
温泉浴槽とプールがあり、60〜80人は同時に浸かれそうな直径10数mの大円形浴槽(36℃)を取り囲む四隅に丸みのある直角三角形の4つの異なる温度(28〜42℃)の小浴槽(といっても結構大きい)がある。蒸し風呂、サウナ、マッサージなどもある。また、この温泉はいわゆる放射能泉である。
飲泉広間には、治療目的で3つの異なる源泉から飲泉できる。浴室内でも飲泉できるように、浴室入口から右手の壁から毎分10ℓ程度で50℃前後の源泉が飲める飲泉所が設置されている。ちなみに、遊離炭酸ガス濃度を測定すると230ppmあった。pHは6.9の中性。寒い日には芯から温まる。
HP:en.rudasfurdo.hu
住所:Budapest, I. ker. Döbrentei tér 9., Szent Gellért rakpart
比較的近くにラーツ温泉Rác gyógyfürdőがあるが、残念ながら2015年11月訪問時は閉鎖されていた。
キラーイ温泉 Király fürdő:
1566年にトルコ人によって建設されたブダペストで最も小さい温泉の一つ。ドーム式の12角形の浴場。400年間「現役」の遺跡で、トルコ様式を色濃く残した安らぎの調光と湯気の立ちこめる温泉である。ハマム(蒸し風呂)もある。
曜日によって男女別となり、日曜だけ混浴の日になる。オスマントルコ時代の公衆浴場・ハンマームの形式が残されており、トルコ風のドームや八角形型の浴槽が残されたトルコ風温泉である。
HP: en.kiralyfurdo.hu
住所:Budapest, II. ker. Fő u. 84.
ブダペストは温泉首都