南西ドイツの温泉療養地(クアオルト)めぐり

 
 

クアオルト Kurort(ドイツ語で「療養地」)の歴史と構成要素

 現在安定した大陸であり、現在火山活動のないはずの中部〜東ヨーロッパにかけて、点々と温泉が湧出するのは、とても不思議に思われる。しかし、中生代後期から新生代にかけて褶曲山脈であるアルプス造山運動で所々にマグマの上昇に伴う火山活動があり、その火山活動の名残が各地にある低温の温泉なのである。そのため、量的に第2の火山ガスである炭酸ガスが低温の地下水に溶け込むことで、各所で炭酸泉が生成されている。


 ドイツが世界に先駆け最初の社会保険制度の一つである健康保険制度を法制化したのは、都市国家、分立小国を統一した19世紀のドイツ帝国首相ビスマルクの「飴と鞭」政策としてのプロイセン法に遡る。当時ヨーロッパに芽生える労働運動の高まりを抑える目的で、その要求を上から先取りする富国強兵の統一ドイツに必要な政策として、『健康である限り、その労働者に権利を与えよ。病気に対して手当を施せ。歳おえば扶養せよ。』のコンセプトで疾病保険(1881年)、災害保険(1884年)、老年疾病保険(1889年)と社会保険制度を制定した先駆的な国である。当然温泉療養も組み込まれていた。

 これ以降、現在に至る150年以上もの歴史から、ドイツ国民には、温泉療法が疑う余地なく有効であるとのコンセンサスがある。一方、ドイツは連邦国家であるため、全国的なクアオルトの統一基準を作り、各州政府が独自に審査・認証を与えている。

 この「クアオルトの定義」は1937年に第1版が制定され、2005年の第12版まで時々の時代に合わせて改訂され続けてきた。治療に必要と認められた場合、医師の処方箋の必要な保健制度で滞在費がカバーされている。

 しかし近年、疾病治療主体の療養よりも、疾病予防・健康促進、つまりリラクゼーションのためのレジャー的なヘルス・リゾートの側面が増大している。ちなみに、ドイツでは温泉水のことを『白い金』Weisses Gold と称している。


 阿岸祐幸北大名誉教授によると、2007年時点でドイツのクアオルトの総数は374ヶ所、そのうち鉱泉-モール浴の治療施設が175ヶ所、気候療法保養地・森林・山岳・地形療法が63ヶ所、タラソセタピー(海洋療法)が北海沿岸に36ヶ所とバルト海沿岸に51ヶ所の合計87ヶ所、クナイプ水療法が39ヶ所となっている。

 小関信行博士の労作『クアオルトKurort入門・気候性地形療法入門』よると、クアオルトの必要な構成要素は、以下の様になる。



・テルメTherme・温泉施設-----療養客・一般客用の温泉治療や保養の中心施設。どこの温泉施設も湯温31〜36℃で、日本人にはもの足らない。最高湯温は法律で規制されているらしい。体温以下なので、温浴とは言い難い。1.4m程度の水深で、バイブラバス、打たせ湯、ジェットバス、流れるプール、夜のイルミネーション、それに必ず併設されるサウナとリラクゼーションが主。数時間浸る。源泉を元にはしているが、酸化沈殿させ、鉄など除かれ無色透明である。レジオネラ対策に塩素をタップリ加えられた『塩素泉』と言った方が良いかも知れない。日本の『源泉かけ流し』とは対極にある。さすがに厳冬期のあるドイツでは、この程度の温浴ではもの足らないためか、北欧生まれのサウナが必ず併設されている。


・クアミッテルハウスKurmittelhaus-----患者専用の温泉治療ほか、運動療法など種々の治療を提供する部門。


・クアハウスKurhaus・保養公会堂-----多目的コミュニティーセンター。中長期療養者と地域住民の交流のためのコンサート、演劇、ダンス、会議、展示会場、レストラン等の施設。Baden-Badenには大きなカジノがある。野外コンサート会場も付属することが多い。


・トリンクハレTrinkhalle・飲泉場-----温泉が飲用可能の場合、温泉を飲むための施設。


・クアパークKurpark・保養公園-----療養者と地域住民のための広い公園。傾斜を利用したり、路面を舗装以外の土、細かな砂利、ウッドチップなど敷き詰め、路面に変化を持たせている。2本のスティックを使うノルディック・ウォーキングをしているところもある。公園内の路には直線がほとんどなく、木々を縫うように曲がりくねっている。ところどころ、川、池、滝、庭園など変化に富ませている。一部に庭園=クワガルテンKurgartenを設けている場合もある。


・病院、クリニック、温泉研究所-----必ずどれかが併設されており、温泉療法医の処方箋に基づき、温泉療法、食事療法、運動療法、精神療法、規律療法を組み合わせた3週間程度(日本も同じ3めぐり。財政悪化で短期間にされつつある)の滞在を基本としている。専門治療は医師だけに委ねるのではなく、マッサージ、吸引療法、鍼灸治療、ハーブ、アロマ、クナイプ水療法、カウンセリング、運動療法、食事療法など複数の組み合わせで行われ、正式な制度として取り入れている。心身の自然治癒を目指す統合医療と言える。過重検査と投薬に偏重している日本の医療とは大違いである。

 さらに、転地療養、地形療法(高地、海岸、森林、山岳、河川など)、海洋療法(タラソセラピー)など地域特有で多様な環境も、治療に積極的に取り入れている。


・ホテル、中長期滞在型アパート、クアペンション----など多種多様な短中長期滞在型の宿泊施設が、上記の施設を取り囲むように存在する。



バート・クロツィンゲン Bad Krozingen

 1911年石油とカリウム探索のボーリング時に、高濃度炭酸泉(現在は地下約600mの井戸3本。日替わり使用。源泉温39℃、治療時36℃、遊離炭酸ガス濃度は公称2,200ppm、飲泉所と治療槽での実測値は1,300ppm)を掘り当てた。ドイツの中では、100年程の歴史の浅い温泉地である。先進環境都市フライブルクの南15km程に位置する。

 元々平坦な農耕地だったため、当初からクアオルト称号の認証を目指した計画的なまちづくりがなされてきた。そのため、クアオルトの構成要素を知る上で、これから温泉療養地をめざす日本の自治体にも大いに参考になる。旧直入町(現・竹田市)の姉妹都市。

 南西から北東に斜めに横切るドイツ鉄道DBの線路を境に、北側はテルメを中心にクアオルト要件の施設が集中し(南側にも欧州最大級の心臓センターがある)、大半は旧市街地となっており分かり易い。


 町の中央を南東から北西へ流れる小川を活かして、北方に広いKurpark(30ha)を配置し、元農耕地という地勢上、平坦ながら、樹木、舗装・土・細かな砂利・ウッドチップの遊歩道で変化に富ませている。コンクリートを排した近自然工法の小川・人造湖・庭園=クアガルテンも整備され、散歩していて、楽しい。


 1995年クアパルクの側に近代的な入浴施設ビタ・クラシカVita Classica(6,000m2)がオープンし、今ではライン川を挟んで国境を接するフランスをはじめ、近隣各国から療養客を迎えている。泉量の少なかった最初の井戸は廃泉になっており、現在の3本ある地下600mの源泉井戸(1939、1960、1969年掘削、各井戸の湧出量は多く毎分840ℓで日替わりで利用)は市のシンボルマークに取り入れられている。温泉施設を囲むように、病院、クリニック、温泉研究所、クアハウス(公会堂、4,000m2)それに各種の中長期滞在用の宿泊施設が取り囲んでいる。温泉施設の経営は有限会社で、その株主構成はクロツィンゲン市が60%、一般投資家が34%、残りを役員と社員が所有している。

 私が訪れた9月は、1日の平均入浴客数は1,000数百人で、寒くなると増加するという。

 町の南部にあるフライブルク大学心臓センターは、ドイツの心臓専門病院80のうちベスト5に入ると言われている。

  * 参考文献:山本紀久雄著、「笑う温泉—泣く温泉」(2004)、小学館


バーデン・バーデン Baden-Baden

 『温泉中の温泉』の意味を持つこの町は、ローマ時代からの温泉地で、18世紀上流階級・知識人の社交場として賑わい、今に続いている。ドイツ鉄道のBaden-Baden駅前のバスステーションから201のバスで東方に広がるシュバルツバルト黒の森方面(東南東へ6km)20分@€2.30でゆく。オース川沿いの谷間の温泉地であるが、中心部のレオポルド広場周辺は高級ブティックもある商業地であり、一見するととても温泉地には見えない高級温泉療養地である。

 右岸(東側)のレオポルド広場から歩いて10分弱のところに19世紀半ばに建設されたフリードリヒス浴場 Friedrichsbad(ローマン・アイリッシュ式の16行程約2時間の伝統的な入浴コース、地下にローマ浴場跡)と、その東側に1985年オープンで一般客用の大浴場(大円形プール)のカラカラ・テルメCaracalla Thermeがある。このスパはオゾン殺菌のため、塩素臭がしない。地下2,000mから23ヶ所から50〜68℃というヨーロッパでは高温の温泉が湧き出ているという。その先にはローマ浴場跡とリウマチの温泉病院がある。

 左岸には、Kurparkがあり並木、1823年建設の豪華なカジノ(男子はネクタイ・ジャケットで)とレストラン付きのクアハウスKurhaus・劇場・美術館がある。この格式の高いKurhausを見ると、18〜19世紀に療養客の社交場であることが分かる。その北隣に幅100m近く巨大なフレスコ画が並ぶ飲泉場(一部インフォメーション)がある。1842年建設のギリシャの神殿風の建物は、飲泉場にしては立派すぎる。背後は、結構傾斜のきついクアパルクKurparkである。


バート・ナウハイム Bad Nauheim

 海から離れた内陸部では、生命に欠かせない塩を得るのは大変であった。この街は、町中を流れるウーサ川に塩分が含まれ、紀元前5-6世紀にその塩水ソーレを塩田ではなく、クロトゲの小枝を壁のように積み上げたザリーネ(製塩装置)という特殊な施設を使う流下式製塩することから街が興り、中世にはドイツを代表する製塩の街になった。

 しかし、その後岩塩が掘り出されるに到り、19世紀に製塩業は衰退するも、「ザリーネの空気に触れると元気になる」との言い伝えがあり、マイナスイオンたっぷりの潮風のようなザリーネのトンネル内で呼吸・運動療法を行うことが、治療として現在も続けられている。

 街の中心部、国鉄駅から西へ数百m下ったところに、海水と同じ3%程度の食塩・炭酸・鉄入りの微温の鉱泉が湧き出し、製塩場で働く人々が古くからこの炭酸泉を利用してきたという。

 1823年には浴場が建設され、1834年にBadの称号が認可され、Bad Nauheimと呼ぶようになった。続いて1835年に9つの浴室とゲストルームを有する二階建ての温泉施設ができ、19世紀の終わりに現在街のシンボルとも言えるシュプーデルホーフSpuderhof(噴泉の館)が完成した。内庭には特徴的な2つの噴泉があり、それらを取り囲むように19世紀のユーゲントシュティール(ドイツのアールヌーヴォー)様式の煉瓦色の建物がある。

 シュプーデルホーフは温泉治療館であり、炭酸泉の入浴、ファンゴ泥療法、クナイプ式水療法、マッサージ、ハーブや漢方、アーユルベーダなど様々な療法が提供されているという。

 この、シュプーデルホーフにはウィルヘルム2世、ニコライ・ロシア皇帝、マルガレーテ・オーストリア皇女、ゲーテなどが療養に訪れたという特別な浴室もある。

 街の真ん中にKurparkがあり、大木の間を曲がりくねらせた小道が張り巡らされている。北西方面にはうっそうとして傾斜のある森の中を散策するコースが整備されている。

 シュプーデルホーフの直ぐ北側に、テルメ・アム・パルクTherme am Parkと言う療養者と一般客向けの浴場がある。31℃と36℃の全ての浴槽(プール)は無色透明だが、舐めると塩辛い。2階はどこの温泉地でもあるようにサウナゾーンで、同じように水着を脱いでサウナに入るそうだ。

 意外にも、エルビス・プレスリーが1958〜60年軍役をこの地で過ごしたことから、市内にレリーフの記念碑があり、今も花束が手向けられている。

 そもそも世界中の温泉の定義は、1911年にこのバート・ナウハイムで採択された鉱泉の定義(ナウハイム決議)が大もとになっている。このナウハイム決議では、16種類の物質の含有および湧水温度が20℃以上とされた。ただし、平均気温がヨーロッパより高く、当時台湾を領有していた日本では、湧出温度を20℃とすると多くの井戸水が「温泉」になるため、平均気温を考慮して温泉の温度基準を25℃以上とした。


 

 ドイツの医療の基本は、「薬で治す」ではなく、「自然治癒を引き出す」のであり、医療はそれをサポートするのです。それには厳格な基準を満たした療養地クアオルト(英語ならヘルス・リゾート)への転地療養が欠かせません。クアオルトにおける治療法の基本は、生活療法と自然療法です。生活療法として食事、運動、休息、入浴、睡眠、娯楽、体験等があり、自然療法として地形(海、森林、山、川、湖)、日光、鉱泉、空気、薬用植物などがあります。

 なかでも、温泉に恵まれたドイツでは、温泉治療は種々の心身の治療法を組み合わせて、提供されています。今回はヘルスリゾートの最前線を行く南西ドイツの温泉療養地をご紹介します。






 2013年9月スイスの3カ国国境の町バーゼルからシュバルツバルト「黒の森」及びライン川沿いに北上し、炭酸泉で有名なバート・クロツィンゲンBad Krozingen、古代ローマ時代から18世紀の上流階級・知識人たちの社交場を経て、現代に続く温泉中の温泉という名の地バーデン・バーデンBaden-Baden、フランクフルトの直ぐ北にある食塩炭酸泉で有名なバート・ナウハイムBad Nauheimの3ヶ所を視察してきました。ゆっくりご覧ください。