マッキンダーズ・キャンプ(標高4,200m)からの眺望





飛行機からの眺望


 東アフリカ・ケニア共和国のほぼ中央部に聳えるケニア山(標高 5,199m)は隣国タンザニアのキリマンジャロ山(5,895m)に次ぐアフリカ大陸第2位の高山である。東アフリカを東西に引き裂こうとする巨大な地球のエネルギーが造ったリフト・バレー(アフリカ大地溝帯)にあって、広大な裾野を持った成層火山の独立峰である。ほぼ赤道直下にありながら、標高 4,500m 以上には、いくつもの氷河を頂いている。過去何回かの氷河期には分厚い氷河が山頂付近をけずり取り、深いU字谷の氷河地形を見ることが出来る。

 ケニア山の地質年代は古くない。「およそ4,000万年前にはじまったアフリカ大地溝帯の地殻変動に伴い、東アフリカには多くの火山が噴煙をあげたが、ケニア山はその中でも比較的新しい。噴火時には7,600mの高さまで山頂が盛り上がったという。」(テレビ「世界遺産」シリーズ)リフトバレーの地で、500万年前と推定される創生期の類人猿・人類はこの火山活動をつぶさに見ていたのかも知れない。


 私は1992年から1995年の3年間と1999年から1年間の合計4年間にわたってケニアで暮らした。もともとのハイキング好きがこうじて、その間3度この山に足を踏み入れた。
 最初に「登った」と書くと誤解されるので、断っておくが、ケニア山の最高峰ポイント・バチアンBatianをきわめるには、本格的なロック・クライミングなどの高度な登山技術を必要とする。そのため、私たちのような一般人は、特殊な技能を必要としないで登れる第3のピーク、レナナ峰 Point Lenana(4,985m)の登頂をもって、ケニア山を「登った」と言ってもよいとされている。これはキリマンジャロ山でも、最高峰のウフル・ピーク(5,895m)迄行かなくとも、頂上クレーターの縁に当たる 5,685m のギルマンズ・ポイントを登れば、一応キリマンジャロを登ったという証明書をガイドの署名付きで、キリマンジャロ国立公園から公式の登頂証明書を発行して貰えるのと似ている。


 ケニア山の名前の由来は、麓に住んでいる最大部族のキクユ族(正確にはギクユと発音するらしい)のケレ・ニャガ Kere-Nyaga(キクユ族の伝説によると、創造主ムガイ Mogai〔またはンガイNgai〕が部族の創始者ギクユに土地とこの名の大きな山を与えた----ジョモ・ケニヤッタ著「ケニヤ山のふもと」、1961年)とカンバ族の Ke'Nyaa ケニア「雄ダチョウ」である。そこは「荘厳で畏敬すべき最も神聖な場所、神ンガイ Ngai の住むところ」「神が降りたり、休んだり、住んだりする場所」とされた。ちなみに、キリマンジャロ Kilimanjaro の由来はキリマが「山」をンジャロは「キャラバン」を意味し、交易のための商隊が目印にしていたためである、と言われている。

 この万年雪を頂く山の存在をヨーロッパに紹介したのはドイツ人宣教師ヨハン・ルートヴィヒ・クラプフ Y.L. Krapf である。海岸からの苦渋に満ちた旅の後、1849年12月3日にカンバ族の住むキツイから西方150kmにケニア山を望み、「巨大な山の上に2つの大きな峰あるいは柱がそびえ立つ」と報告している。

 1887年ハンガリーの貴族、サミュエル・テレキ・スゼク伯爵が 4,240mの今ではテレキ・バレーと呼ばれるところまで登った。1892年イギリスの氷河学者 J.W.グレゴリーがバチアン、ネリオンの双峰から 300mの氷河で断念し、その標高を 5,795m と算出した。彼の名は氷河にその名をとどめている。

 最高峰バチアンへの初登頂はイギリス人探検家・地理学者・登山家のハルフォード・マッキンダー H.Mackinder の率いるヨーロッパ人 6名(キャンプ長のC.B.ハウスバーグ、採集家の E.H.ソーンダース、剥製師の C.F.カンバーン、イタリア人アルペンガイドのセザール・オリエ、彼のポーターのヨーゼフ・プロシェレル)の登山隊のうち、マッキンダー、オリエ、プロシェレルの3名の隊員によって1899年9月13日に漸くなされた。登山隊は59名のザンジバル人、96人のキクユ族のポーター、2人のマサイ族のガイドから成っていた。彼らは標高4,880mでゾウの死骸を写真に撮っている。

 その後 30年程はいっさいの登山家を寄せつけず、第2のピーク、ポイント・ネリオン Nelion(5,188m)の初登頂はエリック・シップトンによって1929年にようやく達成された。尚 Batian、Nelion、Lenana の名前は勇猛なマサイ族のライボン Laibon(精神的指導者)の名前に由来している。Batian と Nelion は兄弟である。

 ケニア山の近代史をみるとき面白いのはヨーロッパ人一人の所有者の存在である。20世紀の変わりめの朝多彩な遍歴を持つイギリス人交易者ジョン・ボイス John Bycs はキクユから 12頭の山羊と牛でケニア山を購入したとされる。もちろん、今では標高 3,364m(1,1000 feet )以上の588平方kmが1949年にケニア山国立公園となっており、KWS: Kenya Wildlife Service ケニア野生生物公社の管理下に置かれ、保護状態は比較的良い。


 東アフリカは一般の人が思い浮かべるような高温多湿な熱帯雨林のジャングルは殆ど無く、サバンナと呼ばれる乾燥した草原地帯がその大半を占める。しかし、4,000mを超えるケニア山の麓は、インド洋からの雲が山にぶつかり、降水量と気温の違いがさまざまな様相を見せてくれる。殊に植物叢は高度に従って、はっきりとした変化を呈する。2,100〜2,400mは亜熱帯性の森林、2,400〜2,800mの背丈10mを越える竹薮(アフリカにも数種類の竹がある)、2,800〜3,000mの高地森林、3,000〜3,300mの低木地帯、3,300〜4,300mのセネシオやロベリアなどのアルペン・ゾーン、最後に4,300m以上の僅かな草が見られる他は何も無い地帯である。

 11もの氷河は頂上付近の4,500m以上で見られるが、「今世紀に入ってからの地球の温暖化は、ケニア山の氷河を急速に溶かしていることが複数の研究者の観察結果から明らかになっている。今世紀始めに18あった氷河は11に減り、残っているものでも氷河の先端は年に3mの割合で後退を続けている。さらに、後退する氷河を追うように高山植物はより高い場所へと生息範囲を広げている。」(テレビ「世界遺産」シリーズ)


 現在登頂ルートは、地図上では大小6つぐらいあるが、最も登山客が多く整備されている西側からのナロモル・ルート Naro Moru Route が最も一般的でる。北面からのシリモン・ルート。ナロモル・ルートの丁度その反対側、東側からのチョゴーリア Chogoria Route ルートが知られている。私はナロモル・ルートから2度、チョゴーリア・ルートから1度登った。登山は季節的には一年に2度ある乾季にすべきである。具体的には小雨季の終わるクリスマス以後から大雨季の始まる4月の初旬までの乾季と、大雨季の終わる8月から小雨季の始まる10月までの乾季である。ベストシーズンは乾季の真最中の2月前後である。これは一応の目安であって毎年変動がある。また高山であるために、乾季でも雨や山頂付近では雪さえ降ることもある。私は数センチの新雪を踏んで登ったこともある。


 日本から予約する場合、ガイア・ツアーズ Gaia Tours & Safaris(旧称ササモト・ツアーズ)(6th floor, Lonrho House, P.O.Box. 46973, Nairobi, Tel : 254(ケニア)-2(ナイロビ)-219580/211540/211547, Fax : -223686/726075, E-mail:gaia@wananchi.com)あるいは、ドゥドゥ・ワールド Dousojin Do Do World(2nd Floor, ICEA Building, P.O.Box 74612, Tel : 254-2-339780/229629/218591, Fax : 218590)には日本人スタッフがいて何かと便利だ。

 日本から登山用具を持って行く際、カートリッジ・ガスは爆発性のある危険物であり、飛行機で運べないことを知っておくこと。ナイロビでもキャンピングガスのカートリッジ(C206,CV-270,CV-470 190g made in Frence)とバーナー、ランタンをスーパーなどで比較的容易に入手可能だ(2000年7月現在)。しかし、火力の強い灯油かレギュラーガソリンのストーブが望ましい。また、重宝する物としては、高度計の付いた腕時計がある。高度を実感できるし、闇夜の登山には心強い。ただし、標高5,000m以上測れる物を。





ナロモル・ルート Naro Moru route


 まず、ナロモル・ルートから述べてみよう。私自身は2度程このルートから登った。最初は1992年8月に休暇を利用して日本からやって来た兄と2人で、次は1994年の年末にナイロビ在住の知人4名と日本から来た山好き中年3名の合計8人のパーティーであった。

 このルートはナイロビから北に150km車で2時間余り比較的よい道を走った道路沿いのナロモルと言う小さな集落の郊外にあるナロモル・リバーロッジ Naro Moru Riverlodge が起点だ。小川に沿って並ぶ小綺麗なバンガロー・タイプのホテルはケニア山登山の中心基地である。そこで必要な用具(登山靴、寝袋、ザックなど)、ガイドやポーターの要員の調達、メッツ及びマッキンダーズ・キャンプの宿泊予約と支払いを済ませる。それに、単独行や登り口までの足を確保できない場合の人のためには、ホテルが運営する食事付きのツアーに参加できる。

 首都ナイロビから登頂にこのルートを使うと、四輪駆動車さえあれば、最低2泊3日で済む。ナロモル・リバーロッジか、車で行ける最終地点であるメッツ・ステーション Met Station(3,040m)にあるこのロッジの所有するバンダ(自炊するタイプの10人ほどが泊まれるロッジが2つある)に最初の1泊。ただ高所順応の事を考えれば、1泊めをメッツ・ステーションで過ごすのが好ましい。

 翌日4,200mのテレキ・バレーにあるマッキンダーズ・キャンプ(これもバンダ)にもう1泊する。翌朝3時にレナナを目指し、午後には登山口のメッツ・ステーションに戻り、夕方にはナイロビに着ける。日程に余裕があれば、その日ナイロビに帰らずにナロモル・リバーロッジや、少し足を延ばして、アバーディア国立公園 Aberdare National Park にあるツリー・トップス Treetops かジ・アーク The Ark (箱船の意)などの個性的な雰囲気を持つ有名ロッジに泊まるか、その近くのニエリ Nyeri の町にあって、植民地時代をたたずまいを彷彿させてくれるアウトスパン・ホテル Outspan Hotel に泊まるのもいいだろう。そして、翌日アバーディア国立公園内にある滝巡りも感激に値する。


 ナロモル・リバーロッジには、なるべく早めに着きたい。そのためには出来る限り早めにナイロビを発つこと。アフリカでは思いもしないことが平気で起きる。路面とタイヤの悪い道路事情では、パンクなどは日常茶飯事だ。殊に日が暮れて知らない道を移動するのは、治安上も厳に慎むべき事である。つまらぬ事に命を懸けることはない。充分余裕を持って行動するのが、アフリカでの鉄則だ。ガイドやポーターの手配などの事務的な事には恐ろしく時間がかかる事が多い。何事もポレポレ(ゆっくり)なのだ。

 しかも雨の降った後は特に道が悪いので、たとえ四輪駆動の車でも経験の浅いドライバーなら、直ぐに深いぬかるみにスタックする。一旦雨が降り始めると、きめの細かい赤土は恐ろしく滑りやすくなるのだ。スタックからの脱出には大変な時間と労力を要する。私が聞いた話には、通常1時間半もあれば行けるところを5時間かかったというのもある。1992年当時、ナロモルからメッツ・ステーションまでの28kmはまずまずの道であった。ところがその後、リバーロッジが大型のトラックをこの区間の送迎に導入したことで、路面が随分と悪くなった。殊に日陰の排水の悪いところに、深いわだちが目立って増えた。ただし、好天続きで地面の状態さえ良ければ、後輪駆動のベンツでも行けないこともない。


 手配してあったガイドとポーターを途中の集落の中にあるオフィス Guides & Porters Club でひろう。規則では、懐中電灯用の電池を小さなキオスクで買って与えることになっていると言う。ガイドはグループに1ないし2名、ポーターは人数分が適当。一人当たりの荷物の制限は、確か15kg以内であった。キリマンジャロ大名ツアーと違って、登山者は食料・食器類を持参しなければならないので、それなりの重さになる。ガイドとポーター達は自前で食料を用意して来るので、彼らの分は心配ない。




 途中、針葉樹林帯にある公園入場口で入山手続きと入場料を支払い、更に8km程の急な道を駆け上がり、メッツ・ステーション Met Station(3,040m)に、ナロモルから2時間程かかって着く。ここには小さな気象観測所 Meteorological Station があるため、そう呼ばれている。庭には百葉箱と風速計が設置されている。電気は太陽光発電によっている。メッツ・ステーションのバンダは十数名が泊まれるこぎれいなバンガロー風の2棟と常設のテントがあるが、よぽどの山好き以外は、迷わず屋根付きを選ぼう。水道は完備されているが、調理用具は無いので持参した物で済ませる。ご飯を炊くなら圧力鍋がほしいところだ。勿論高度が高いので朝夕はめっきり冷え込む。いびきをかく人が必ずいるので、早く眠りにつこう。不眠は高山登山の大敵だ。




 メッツからマッキンダーズ・キャンプ(4,200m)までは十数km約7時間の行程だ。標高差は1,150m。始めは大型車が通れるほどの幅広い道が続く。年間を通して雨が多いため、広葉樹林は地衣類のサルオガゼが枝えだに垂れ下がって、どことなく熱帯雨林を想わせる。学術的には雲霧林と呼ばれるらしい。途中、自家発電をしているラジオ中継局を過ぎてからしばらくすると、緩い尾根ながらまるで段々畑か千枚田のような湿地帯に入る。ここは年間を通じて、降水量がよほど多いためだろう。雨の後なら長靴が必要なぐらい靴が沈む。スパッツがほしいところだ。このころから、辺りには高い木が無くなり、潅木と草になってくる。この湿地帯を乗り切ったところにピクニック・ロックス Picnic Rocks と呼ばれる岩影がある。

 3,800mを超える辺りから別世界のような風景に変わる。遠くに氷河を従えたピークが見え隠れし始め、辺りは背丈が数メートルもある奇妙な高山植物セネシオ(ツゥリー・セネシオとセネシオ・ブラシカ)、ジャイアント・ロベリアといった氷河期時代の生き残りの大型植物だ。このような風景はキリマンジャロやアバーディアでも見られる。テレキ谷 Teleki Valley と呼ばれる氷河地形のU字谷に入って、緩やかに谷に沿って登って行く。川幅数メートルで、谷底を流れる北ナロモル川を横切って、平坦な谷底にあるマッキンダーズ・キャンプにたどり着く。




 途中肥えたウサギほどの大きさのロック・ハイラックスを所々で見かける。これが陸上動物としては、分類学上ゾウに最も近縁だというから驚きである。性格は臆病だが、ロッジの周りに住みついているハイラックスたちは人が危害を加えないことを知ってか、クッキーやクラッカーをやると平気で近づいて来る。食欲は野生の警戒心に勝るようだ。そこらは雪が降ったり、霜が降りたり随分と冷え込む厳しい気候である。


 マッキンダーズ・キャンプは堅固な石造りで、40名ほどが泊まれるようになっている。外にはパイプで水も引いてある。備え付けで水平さに欠けるテーブルと椅子が数セット置いてある多目的ダイニングルームと、2つの寝室から成っている。寝室には2段ベッドがならべられており、嬉しいことに分厚いマットレスが敷いてある。天気さえ良ければ、夕日で真っ赤に焼けたピークと氷河の黄昏の景色は格別だ。


 ここでは空気が地上の6割程度しかないので、息切れしないよう、ゆっくりと動こう。それに水の沸点も85℃位である。ラーメンも簡単には煮えない。夕食と明日の準備を暗くなる前に済ませ、日が暮れる7時過ぎには寝袋に入りたい。空気が希薄なので熟睡はできないが、かと言って深酒は禁物。高所ではひどくアルコールがきく。死に至ることもある。炭酸飲料も良くない。

 その代わり、心配な方は高山病の予防効果のあるアスピリンを飲んでおこう。ナイロビでも簡単に薬局 Chemist で簡単に手に入る。また高山病を防ぐためには、歩いている時の深呼吸で失われる水を補給する意味で、多量の水を飲むのも良いとされる。大抵、直接日本から来る人は、高所順応が出来ていないし、4,000mを越えるような高所に生まれてこのかた初めて足を入れるため、軽い頭痛から呼吸困難を伴うひどい症状までの高山病を体験することになる。高山病は時に死をもたらすことさえある。かといって、中には全く何ともない人もいる。外見や日本の山くらいでの経験からでは、その人が高山病を起こすか否かは予測できない。ひどい症状の場合、一刻も早く高度を下げねば、命にさしさわる。自覚症状をはっきり言えない子供の登山は、すすめられない。


 翌朝と言うより真夜中の2時過ぎに起き、紅茶、ビスケットなどで軽く済ませ、3時にはキャンプを出なければならない。何故そんなに早く、と思われるかも知れない。それはケニア山が、たとえ乾季でも、日中には上昇気流が起こり山頂に雲がかかりやすく、晴れる確率の高い夜明けに登るのが最善だからである。晴れているならば、透き通った大気を貫く満点の星空に感激することに違いない。どれがどの星座が分からないくらい星が見える。そこは宇宙への窓口なのである。月明かりのない時の星明かりだけですら、はっきりと山影を認めることが出来る。ガイドを先頭に、懐中電灯で足元を照らしながら、途中傾斜の急なガレ場をジグザグしながら登るが、慌てず一定のペースで高度を上げることだ。息が切れるようならば小休止を小刻みにとる。水の補給も忘れずに。



 鞍にあるオーストラリアン・ハット(4,790m)に夜明け前に着き、ひと休みする。白みかけた6時前に小屋を出てルイス氷河の端または稜線沿いにレナナ峰を目指す。6時半の夜明け頃頂上に至る。頂上は意外と広く、1930年代にローマ教皇ピウス11世から贈られたと言われる金属製の十字架(写真)が建てられている。気温は零下5度くらい。風があると体感気温は更に低く感じる。気圧は平地のほぼ半分だ。東西南北360度の大パノラマをじっくり楽しみたい。ルイス氷河を挟んで朝焼けに輝く黄金色のバチアンとネリオンは、西方向にあって圧巻だ。東にはチョゴーリア・ルートのゴージズ・バレー Gorges Valley の深い谷が見える。南には鋭く切り立った稜線が続き、北にはいくつもの谷がうねっている。

 下山は速い。登りに4時間、下りは1時間半。ジグザグ道を駆け足で一気に下り降ることができる。マッキンダーズ・キャンプに着いたら朝食をとり、直ちに下山の用意をする。10時前に出れば2時前にはメッツ・ステーションに着ける。その日ナイロビに直接帰るか、アバーディア辺りの個性的なロッジ(トゥリートップス、ジ・アーク)に泊まるようにする。


 ガイドとポーターへのチップはとりたてて、いくらという基準はない。万人が登るキリマンジャロの場合は、登山が終わり頃になると、逆に彼らからしつこく要求されるので、印象を悪くした。しかしケニア山の場合、周辺の農村に住む貧しい農民である彼らにとっては、数少ない現金収入の機会(登山人口が少なく、1カ月に1回ぐらいしか仕事が廻ってこないとか)なので、気持ち良く登山を楽しめたならば、1日3〜4ドル位のシリングを渡してお礼をしたい。いらなくなった物を出来る限り公平に与えるのも良い。ちなみに、1994年末での彼らの日当は、ガイド290シル(当時のレートは1ドルが43ケニア・シリング)、ポーター270シルであった。





チョゴーリア・ルート Chogoria route



 もう一方の東からのチョゴーリア・ルートだが、私個人的には、雄大な氷河谷の風景を満喫できる点ではナロモル・ルートよりは遥かに魅力的だと思う。ただし、残念ながら、このルートはアクセスに問題がある。

 乾季の盛りの1994年3月に、知人とこのルートからレナナに登った。メルー Meru に近いチョゴーリアが起点となる。ナイロビを早朝に発ち北上する。路上パイナップル売りで有名なティカ Thika を10km位過ぎたワムム Wamumu と言う小さな集落で、標識を見逃さないように注意しながら右折する。

 天気が良ければ、ケニア山が間近に迫って見える。ケニア山を反時計回りで迂回するように車を走らせる。途中、エンブ Embu の町を通り、ナイロビから180km、順調なら3時間ほどでチョゴーリアの Transit Motel (P.O.Box 114 Chogoria, Tel: 0166-22096)に着く。そこまでは比較的良い道が続く。そのモーテルは西のナロモル・リバーロッジに相当する登山基地ではあるが、その規模はずっと小さい。ここでガイドとポーターを雇い、公園入場料を除く諸経費の支払いを済ませる。ガイドとポーターの用意が出来るまでにモーテルの2階で昼食をとり、彼らを乗せて村はずれから赤土の山道に入る。この 約22km の未舗装の道はくせ者で、いったん雨が降ればぬかるみ道と化し、さしもの四輪駆動車ですら相当難儀する。雨季にこのルートを行くのは無謀である。この道さえ良くなれば、チョゴーリア・ルートは、景色がずっと素晴らしいだけに、まだまだ人気が出てくるにちがいない。途中ゾウの糞が道路に落ちている。やはりこそは野生の世界なのだ。





 順調なら、2時間弱で 3,017m にあるメルー・マウント・ケニア・バンダ(ロッジ)に着く。このバンダはナイロビの旅行会社 Let's Go Travel (1st Floor ABC Place, P.O.Box 60342, Nairobi, Kenya, Tel : 4447151/4441030)で早めに予約しておく。収容能力は12部屋、各部屋3ベッド(シングル2つと子供用1つ)の36名。ガス・レンジまでそろった調理用具と暖炉、綺麗な水洗トイレ、ドラム缶式のホットシャワーが嬉しい。ここでも食事は自炊である。薪をくべた暖炉の火は暖かで気持ちが和む。夕方6時半から9時半までの3時間はイタリア製の自家発電の電気が供給される。

 翌日バンダ近くのゲートからケニア山国立公園に入る。公園入り口にはキャンプ場があって、テントを持参すれば、宿泊できる。ここから車10台ぐらい駐車できる最終駐車場 Parking A(3,250m)までの6kmはかなりの悪路で、車1台がやっとくらい道幅も狭い。この駐車場の近くには、ケニア山に登らない家族連れでも十分楽しめるエリス湖を巡るハイキング・コースがあったり、きれいな小川 Nithi South river でニジマス釣りを楽しむのもいい。但し、餌釣りは許されていないようだ。

 また、アバーディア国立公園の滝には及ばないものの、連続した滝も見所だ。ここからミントス・ハット Mintos hut(4,300m)までの 7km、4時間半のハイキングがその日の行程である。


 このルートの素晴らしさは、何と言っても、この間の風景にある。絶壁沿いのゆったりした登山道から見る谷幅数キロもある巨大なU字谷のゴージス・バレー Gorges Valley の眺めは、壮大で飽きることはない。高度を増すごとに、後方に 3,360m の頂上が真平らな円形のジャイアント・ビリヤード・テーブル Giant Billard Table がはっきり見えてくる。途中のほぼ 4,000m 地点に当たるランチ・ポイント Lunch Point からの深い谷底に横たえるミカエルソン湖 Lake Michaelson(3,900m)とそこから落ちる清楚なビビエン(女性の名前)の滝 Vivienne falls の遠景が特にすばらしい。U字谷の対岸にはキラキラ光るかつて遭難した飛行機の残骸が認められる。





 目的地のミントス・ハット(4,300m)に着くとその周りの異様な景色に感動することになる。大小の池 tarn があり、池の縁は分厚い緑のコケの絨毯で縁取られ、セネシオの疎林が取り巻いている。池の水は緑に染まっている。実はこの池のひとつから飲み水を汲んで利用している。くれぐれも池を汚すことのないように。 ミントス・ハットから歩いて5分の所に The Temple と呼ばれる絶壁がある。手すりなど無いので這って谷底を見ると、ゆうに 100m以上に落差がある。背筋がぞっとすること請け合いだ。私は今でも思い返すごとに手足の指先からジーンとするあの高所恐怖感が鮮やかに蘇る。


 残念なことは、ミントス・ハットが 1994年3月の時点では、トタン屋根の木造の5m四方の小屋で、マッキンダーズ・キャンプに比べると全く見劣りする。収容人数は12名程度、蚕棚にはマットレスもなく痛くて寒い思いをする。雨や霰でも降れば、うるさくて叶わない。私は殆ど眠れず、うつらうつらしただけだった。そのためテントを持参するグループも多い。


 ナロモル・ルートと同じように、翌朝暗いうちから登り始める。ミントスからレナナ峰へはマッキンダーズ・キャンプからよりやや長い。登りに 4時間、下りに 2時間程かかる。簡単な食事をとり、ミントスから 2時間半で駐車場にたどり着く。時間に余裕があれば、駐車場から歩いて10分のところにある2つの滝を見るのもお薦めだ。チョゴーリアの村に3時前に着けば、日が暮れるまでにはナイロビに着ける。


 最後に、ナロモルからチョゴーリアへ、もしくはチョゴーリアからナロモルへ縦走は両方のルートの醍醐味を味わえるという意味では、最も望ましいのであるが、車の手配、ガイド・ポーターなどの人員の輸送、費用の点で残念ながら難しい。しかし、僅か300km程しか離れていないキリマンジャロとよく対比されるが、こうした不便さが、ある意味ではケニア山の俗化を防ぎ、多くの山屋やハイカーの憧れを今も引きつけていることも、見逃せない事実である。


 もっとケニア山の写真をご覧になりたい方はこちらへ。別のケニア山登山記(小生の兄による)をご覧になりたい方はこちらへ


 ケニア及びケニア山に対するご質問があれば、E-mail(urakawa@nippori.co.jp)を下さい。分かる範囲でお答えいたします。

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