アフリカを飛び出したアフリカ・トリパノソーマ

エバンス・トリパノソーマの起源






 






「スーラ Surra」病とは




 アフリカ・トリパノソーマ症は、その名が示すアフリカだけの病気ではない。熱帯雨林に起源を持つエイズ・ウイルスなどと同じように、既にアフリカ大陸を飛び出して、中南米、中東、南アジア、東南アジア、東アジアの各国に触手を延しつつある。中でもエバンス・トリパノソーマ Trypanosoma evansi (T. evansi) と言う種名を持つトリパノソーマ原虫が引き起こす「スーラ」病(インドで名付けられた動物の慢性消耗性疾患)は、世界の熱帯・亜熱帯地方へと確実に汚染地域を拡大しつつある。

 エバンス・トリパノソーマの発見は、エバンスが1880年にインドでスーラ病に罹ったラクダとウマの血液中に見いだしたのが最初の報告である。実はようやくその10年後にブルースが南アでブルース・トリパノソーマの発見を最初に報告をしているため、歴史的にはアフリカ以外でアフリカ・トリパノソーマが最初に発見されたことになる。

 エバンス・トリパノソーマに最も感受性の高い動物はラクダ、ウマ、イヌであり、病気として激しい症状を呈する。ウシ、スイギュウ、シカなど他の家畜や動物も感染し,発症することがある。感染は吸血性のアブによる機械的な伝播が主であるが、南米では時に吸血コウモリが機械的なキャリアとなっている。アフリカ・トリパノソーマの媒介昆虫であるツェツェバエの体内では、逆に、変態できず生きられない。感染動物は発熱、貧血・痩削を主徴する慢性消耗性の症状を呈し、肉やミルクの生産性の低下と流産などの繁殖障害が著しい。幸い、今のところヒトへの感染例の確実な報告例はないが、後で述べるように、将来ヒトへの感染が潜在的に起こりうると思われる。







エバンス・トリパノソーマはブルース・トリパノソーマの

変異株にすぎない



 1992年から1995年の3年間、私はケニアの首都ナイロビにある国際農業研究機関のひとつ、国際畜産研究所(ILRI: International Livestock Research Institute、イルリ)〔もと国際動物病研究所(ILRAD: International Laboratory for Research on Animal Diseases、イルラッド〕で研究生活を送ったとき、アフリカ・トリパノソーマのリボソームRNA遺伝子の配列を決定し、比較した。

 その詳細は「トリパノソーマ原虫のリボソーム遺伝子の解析」を参照していただきたい。結論として、エバンス・トリパノソーマはブルース・トリパノソーマの亜種として T. brucei evnsi とでも表されるべきである。ただし、その発見の報告がブルース・トリパノソーマより10年も先立っているので、妥当かと言う問題もある。

ケニアの首都ナイロビ市

国際畜産研究所 ILRI、天気がよく空気が澄んでいるときには 200kmも離れたタンザニアのキリマンジャロが望める

 1995年から1996年にかけて技術指導のためタイ国立家畜衛生研究所に赴任した時に、バンコク郊外の人工授精センターでウシの「スーラ」病に出会った。その時はマウスに接種して原虫を分離し、更にそれからDNAを抽出して日本に持ち帰った。その後帰国し、筑波でリボソームRNA遺伝子の解析した。

 驚くべきことに、その結果はアフリカ・トリパノソーマの代表とも言うべきブルース・トリパノソーマと、変異の多いはずのスペーサー部分も含め、両者を区別出来ないほど酷似していた。このことは、エバンス・トリパノソーマとブルース・トリパノソーマとは形態的に区別のできない別種と見なすより、エバンス・トリパノソーマはブルース・トリパノソーマの変異株であると見なすことが、ごく自然の解釈であると確信することに至った。

 リボソームRNA遺伝子のみならず、昆虫期がない(ツェツェバエの体内では増えなくなってしまっている)にもかかわらずエバンス・トリパノソーマは、昆虫期に特異的に発現するプロサイクリン遺伝子を完全に保持している。このように「ツェツェバエにより媒介されるか否か」のたった一つの形質のみで、両種を別種として分類している現在の分類は完全に間違っており、今後分類に際しては、遺伝子のデータを考慮に入れ訂正されるべきである。









エバンス・トリパノソーマの変異表面抗原(VSG)遺伝子の解析

 私は1999年から2000年にかけての1年間、 外務省の資金援助で第2回目のアフリカ研究生活をおくった。この期間に、バイオテクノロジーの手法を使って、アフリカを飛び出し世界展開を図りつつあるエバンス・トリパノソーマ原虫の変異表面糖タンパク質の遺伝子解析を行った。実際には、沢山の遺伝子を分離(しクローニング)、それら配列を決定すると共に、一部の遺伝子を試験管内で大量発現し、この病気の診断方法を開発した。

トリパノソーマ原虫の微細構造



 下にトリパノソーマの微細構造を示した。血液中のトリパノソーマ原虫の表面は単一のタンパク質である変異表面糖タンパク質 (VSG: Variable Surface Glycoprotein)の衣ににすっぽり覆われており、乾燥重量の15%にも及ぶ。このVSGを1週間程度かけて新たなVSGに次々に脱ぎ変えることで、血液中にいながら宿主の免疫系から効率よく逃れている。

変異表面糖タンパク質 VSG の発現経路


 変異表面糖タンパク質の発現のメカニズムは複雑で、いまだに全て解明されているとは言えない。しかし、1970-80年代には、それまで変化しない思われていた体細胞のゲノム上の遺伝子の並びが変わりうる、という珍しい現象であることが明らかとなり、Bリンパ球の免疫グロブリン遺伝子が再配列することなどと共に、生物学上極めて重要な現象として取り扱われている。

 変異表面糖タンパク質をコードする元々の遺伝子(ベーシック・コピーと呼ばれる)は著名な多様性を示し、少なくとも1,000は存在することが予測されている。そのコピーが染色体 DNA の末端にある特殊な配列構造のテロメアの近傍数キロベースの発現サイトに移動してはじめて(トランス・ローケーションと言われているが、メカニズムは不明)、非常に長いメッセンジャー mRNA が合成され、核内から細胞質に移動しリボソームによってコードしているタンパク質が合成される。

 この経路を上の模式図で示した。発現サイトの数はせいぜい20程度と言われ、実際にはそれらのうちたった一ヶ所しか活性化されない。これは上流にある発現関連遺伝子 ESAGs のひとつトランスフェリン・レセプター(細胞が鉄を取り込むときのレセプター)の変異と寄生動物種のトランスフェリンとの組み合わせ(親和性の良さの程度)で決めるようだ。

 しかも、成熟メッセンジャーRNAが作られる際、同じ前駆体 RNA 分子内で行われるスプライシング(シス・スプライシング)をする一般の生物とは違って、トリパノソーマの全ての mRNA の成熟には2種類のRNA分子が関与するトランス・スプライシングと言う珍しい現象が行われているのも特徴である。

エバンス・トリパノソーマの変異表面糖タンパク質遺伝子のクローニングと試験管内発現


 私たちはエバンス・トリパノソーマの遺伝子を解析するにあたり、一般の遺伝子の比較ではブルース・トリパノソーマと区別できないであろうとの予測で、最も遺伝的多様性に富む遺伝子である変異表面タンパク質遺伝子の解析に精力を注ぐことにした。

 具体的には、上記の模式図のように、血液中で変異を繰り返す原虫を経時的に動物の血液から分離し、遺伝子 DNA と RNA を抽出する。RNA 分画に含まれるメッセンジャー mRNA から逆転写酵素を使って cDNA を合成し、PCR法によって増幅し、プラスミド・ベクターにサブクローニングする。遺伝子の配列を読みとり、変異表面タンパク質遺伝子であることを確認する。

 更に発現ベクターに組み込み、試験管内でタンパク質を大量に生産し、抗原として動物を免役し、特異抗体を得る。これらの特異抗体で交差反応を調べたり、VSG 遺伝子のデータを使って特異的プライマー(短い一本鎖 DNA)を合成し、PCR法で特定の VSG 遺伝子を持っているか否かを調べる(VSG レパートリーの解析)。

 

 

ウシを使ったエバンス・トリパノソーマの感染実感(ILRIにて)

 トリパノソーマの感染実験はマウス、ラット、ウサギなど小動物を用いて行うのが一般的であるが、ILRI では野外の宿主の一つであるウシを使って1年間に渡る感染実験を行った。外気から隔離できる密室と空調と備えた大型動物の感染実験棟で行われた。

変異表面糖タンパク質遺伝子のクローニングに使ったウシの感染実験の経過

 我々の栄養状態の良いウシを使った感染実験では、ストレスの多い野外での実際の感染とは違って、貧血などの臨床症候や寄生虫血症の程度は極めて軽微であった。それで、少数の原虫を含む血液を一度ラットに接種し、初めの原虫血症のピークからトリパノソーマを回収し、変異表面糖タンパク質遺伝子のクローニングを行った。時には、ステロイドを投与して原虫血症を誘導した。

 感染動物の血中には5週目頃から特別な変異表面糖タンパク質 RoTat1.2 に反応する抗体が確認されようになった。なぜこの一つのVSG と反応する抗体が出来るのか、不明である。しかし、この現象を利用して血液診断法として利用されており、我々の目的の一つは、バイオテクノロジーの手法を用いて、開発途上国でも使える安価で信頼性の高い診断キットを開発することであった。





診断法の開発

変異表面糖タンパク質遺伝子

 この実験の結果得られた変異表面糖タンパク質遺伝子のデータを元にPCR法を行ってみると、世界中各地で分離されたエバンス・トリパノソーマに全て陽性を示すデータが得られた。このことはこれらの原虫が同じ変異の多い遺伝子レパートリーを持っており、極めて近い関係にあることを示している。つまり、皆同じ一つの祖先に由来し(クローン)、しかも生命の歴史から見れば、世界に展開したのはつい最近のことである、と推定することが出来る。

 この方法により、近縁(と言うより同種の)ブルース・トリパノソーマとの区別も容易に出来ることになった。

バイオテクノロジーを使って試験管内発現で作られたタンパク質の診断法への応用

 実際の応用として、クローニングされた RoTat1.2 VSG 遺伝子をバイオテクノロジーの手法を用い試験管内で大量に生産・精製し、血液診断を行ってみた。この結果、感度・特異性とも高く、しかも廉価な診断キットを開発することが出来た。

 このキットを量産することにより、世界的に統一した臨床診断が可能となる。その結果、個々の実際の診断はもとより、正確な流行の実態が把握され、経済的被害の算定を可能とするであろう。








エバンス・トリパノソーマの脱アフリカと世界戦略



 エバンス・トリパノソーマのリボソームRNA遺伝子の解析と変異表面遺伝子の解析により、エバンス・トリパノソーマはブルース・トリパノソーマの一変異株に過ぎないことが明らかになった。しかも、突然変異がもたらした、たった一つのクローンに由来するという単一起源説が有力になった。

 このことはヒトの眠り病の病原体であるガンビア・トリパノソーマとローデシア・トリパノソーマがブルース・トリパノソーマの変異株=亜種として認識されているとの似ている。エバンス・トリパノソーマがツェツェバエに媒介されないことと、アフリカ以外にも存在していることから別種として分類されてきた事実を改めるべきである。


エバンス・トリパノソーマの単一起源説(仮説)


 では、いつ、どこで、どういうふうにアフリカを飛び出したのであろうか。化石の証拠の残らない生物の進化の歴史を証明するのは、並大抵のことではない。そのためには、現世生物の形態・構造・特異性の他、遺伝子の比較、特に人間の活動の関与(歴史)など多面的に考察されなければならない。

 「いつ」は、はっきりとした年代を特定するには証拠が足らないが、せいぜい数千年位ではないかと私は思う。理由は以下に述べる。

 「どこで」は、おそらくサハラ砂漠の存在を抜きにしては、語れない。さしもツェツェバエも砂漠地方では生きることが出来ない。ツェツェバエの分布域を考えるとエバンス・トリパノソーマへの変異はサハラ以南で起こった、と考えることが出来よう。

アフリカを飛び出したエバンス・トリパノソーマの経路


 「どういうふうに」を考える時、ラクダの存在を抜きにしては考えられない。数千年前砂漠を横断できたのは、トラックではなくラクダの商隊であったことは、およそ思い浮かぶ。ラクダは今でもエバンス・トリパノソーマに感受性が高く、ラクダの主要な感染疾患でもある。

 ラクダの商隊は砂漠横切り近接するサバンナ、多分東アフリカのソマリアやスーダン辺りか西アフリカでツェツェバエの吸血を受けたであろう。その際、ブルース・トリパノソーマの感染も受けたでああろう。その中には変異株が存在し、砂漠を越えて北アフリカではアブによる機械的な伝播に適応した株が更に変異を加えて(?)エバンス・トリパノソーマが生まれ世界に広まった、と言う筋書きである。

 この仮説はかなり前から唱えられており、私は遺伝子解析の結果とラクダの起源と言う点から支持している。

ラクダの起源は北米大陸。200万年前にユーラシアへ移動後、家畜化された

 では、ラクダは一体いつ頃アフリカにもたらされたのであろうか?近頃その辺の事情を解説した日本語の著書『もっと知りたい野生動物の歴史」』--- 江口保暢(やすのぶ)著、早稲田出版2005年)を補足して解説してみた。

 現在ラクダを思い浮かべるとヒトコブ・ラクダとフタコブ・ラクダの存在であろう。両者はそれぞれアラビアンとバクトリアンと呼ばれ、別種とされている。しかし、両者の間で性的障壁はなく、相互に交配可能(厳密にはヒトコブ・ラクダのメスとフタコブ・ラクダのオスの雑種は繁殖力を欠く)であるため、亜種として分類すべきだ主張する学者もいる。

 その起源として誰もが思い浮かべるのは、中近東か中央アジアであろう。しかし、実は、ラクダの起源は化石の証拠から、ウマの進化と同じ北アメリカ大陸なのだそうである。更新世(200万年前)に現在のラクダに近い大型のものが発生し、ウマと共に地続きになっていたベーリング地峡を通ってアジア大陸に移動してきた。

 現在動物園を除いて北アメリカには野生のラクダは存在しない。現在ラクダは、ヒトコブ・ラクダはアラビアで、フタコブ・ラクダは中央アジアでほぼ同じ紀元前2,500年頃に家畜化されたと言う(フタコブ・ラクダの原種がごくわずかにいるらしい)。一方北米から南米に移り住んだラクダの祖先は、野生種のグアナコと家畜化されたリャマとアルパカとして進化している。

  Black Obelisk (BC9世紀)とアッシリアの壁画(BC7世紀)のラクダのレリーフ(共に大英博物館)

 では、アフリカ大陸にラクダはいつ連れてこられたのであろうか。人類の拡散とは逆の流れでユーラシアに移動したのち、人類に家畜化されてアフリカにもたらされた過程で、何らかの歴史的な証拠が残っているはずである。私の勤めていたロンドン大学熱帯医学校は大英博物館裏門から歩いて2分という至近距離にあり、ロンドンからパリのルーブル美術館も日帰り圏内である。その地の利を生かして、つぶさに古代遺跡に残されたラクダの存在の証拠を2つの博物館の膨大な展示されているコレクションの中に探して回った。

  当時アジアからアフリカへの回廊であるメソポタミア地域のアッシリア(紀元前18世紀から紀元前7世紀)で見いだした最古のものは、紀元前9世紀(BC841年)の中東の Black Obelisik である。レリーフ自体は間違いなくラクダなのだが、フタコブ・ラクダなのである。現在フタコブ・ラクダをこれらの地域とアフリカで見ることは、まずないと思う。

 次に古いものは、紀元前7世紀(BC645年頃)、アッスル・バニ・バル王宮殿の戦勝記念のレリーフである。ラクダを戦争に使ったようだが、これは正真正銘のヒトコブ・ラクダである。このように、ラクダが中近東、アフリカにもたらされたのは、紀元前1,500年も遡ることはないと思われる。

 北アフリカの文明と言えば、紀元前数千年の間繁栄した古代エジプト文明である。しかし、私は壁画やミイラの棺桶、レリーフ、像を何度も見て回ったが、不思議なことにあの特徴ある姿を認めることが出来なかった。これは、古代エジプトでは使役動物は神格化されることはなかったされ、形として残っているものが意外と少ないことによるらしい。

 この点、古代エジプト発掘の専門家である吉村作治・早稲田大学教授は、「(ラクダのアフリカへの本格的な導入は)新王国時代(紀元前1565‐1070年)の終わりです。しかし、普及するのはグレコ・ローマン時代(紀元前4 ‐後4世紀ころ)ですね。西アジアのほうから入ってくるんです。シナイ半島経由です。…南米のリャマやアルパカはラクダの仲間ですね。」と述べている。(増田義郎・吉村作治『インカとエジプト』--- 岩波新書)

 こうした事実から考えると、サハラ砂漠をラクダの商隊で交易したのはせいぜい数千年前からであり、その後アフリカを飛び出したエバンス・トリパノソーマの起源はずいぶん新しい。独立した種と見なすには、あまりに短い時間である。この仮説はまだまだ各方面から検討されなければならないが、大まかなストーリーには間違いはないと思う。将来、更なる研究によってより正確な起源の問題が解決されることを願っている。

 また、ここに述べたエバンス・トリパノソーマのクローン起源説が正しいとすれば、VSGレパートリーの狭さから、ひょっとしてカクテル VSG ワクチンの開発が可能になるかも知れない。






終わりに


 


 これらの研究を進める際、共同研究者達、ILRI の Phelix Majiwa 博士とベルギー、アントワープの熱帯医学研究所の Philippe Buscher 教授とその部下達の絶大なる協力があったこと、日本の外務省から特別に1年間だけの私の滞在費を支援していただいたことに感謝し、ここに記しておく。



 最後に、この文章は私一個人の意見・考えであって、ILRI や外務省の方針や見解を表したものではないを断っておく。それ故、内容に関して、私 浦川豊彦が全責任を負うものである。





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